「あとがき」より抜粋
今年は昭和で数えると81年となります。平成になって18年になります。
「室井さんは今でも昭和を生きているんですね。」
と友人に言われることがあります。まもなく平成生まれの若者たちに今後の日本を託すことは間違いありません。
それなのに私の昭和は続いているのです。
昭和の時代に出会った友人、知人たちとの素晴らしい思い出と、別れ。
私はその熱き想いを胸に秘めて、平成という時代のスピードをなんとか走り抜けています。
私の大好きな歌に「昭和ブルース」があります。
昭和ブルース
生まれた時が悪いのか それとも俺が悪いのか
何もしないで生きてゆくなら それはたやすいことだけど
この世に生んだお母さん あなたの愛に包まれて
何も知らずに生きてゆくなら それはやさしいことだけど
なにもせずに死んでゆく 俺にはそれがつらいのさ
止めてくれるな可愛い人よ 涙流れてくるけれど
見えない鎖が重いけど 行かなきゃならぬ俺なのさ
誰も探しに行かないものを 僕は求めて一人ゆく
僕は求めて一人ゆく
この詞を忘れ去ることができずこの年齢まで来てしまった私がエッセイを書いてみようと思ったのは、実姉が同人誌「習志野ペン」に参加していて時々送ってくれたエッセイをみて、私もやってみようと思ったことが始まりです。
その姉のエッセイに職業軍人である父が戦地にいて、日本に帰れず、家で預かっていた特攻隊の青年たちと毎日を過ごしていた三歳までの父親を知らなかった私のことが書いてありました。
今日までいた若者が出撃してしまうと別の特攻隊の若者が来ます。
私はその若者たちに肩車やお馬さんになってもらって三歳まで過ごしていたようです。
これを読んで五十代の後半まで私の心の中にあり、不思議な感情として残っていた思いもすべて晴れました。もしかして、当人が気付かない人生の部分を他人が見ていて語ってくれることは当人の心を安心させてくれる大事なことと実感しました。
それが多くの友人、知人、そして私のあこがれれの人を書かせてくれた原動力となりました。
なかには失礼なことを言ってしまっていることもあるかもしれませんが、上京以来、私が人生の中で出会い、別れた「熱い想い」が再び人生の最終章で甦っているのだなと寛大な心でお許しください。
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